皆さん、ゴールデンカムイをご覧になって魅力的なキャラクターがどんどん出てきましたが、
時代の違いから、まさか絡むことのないとおもう人物が登場しましたねっ。
歴史好きな人でないと知らないかもしれませんが、知らない人はいないともいえる人物。
幕末を駆け抜けて、新時代の始まりに関わり、武士の時代の最後の象徴ともいえる人。
土方歳三
こんな魅力ある人物をぶっこんできましたゴールデンカムイ。この人をどう扱うの?
まだこの人に年老いても一役買ってもらう気?
もうこの設定にはびっくりしました。近代化された軍人と過去の英雄が絡むとは。
刀もってますよ!
この人扱ったらただのお話では済まないわけですよ。
著者の野田サトル先生、凄い!!
ゴールデンカムイの土方歳三とその魅力
土方歳三の生い立ちとエピソード
幕末を駆け抜けたその人、土方歳三は元々裕福な豪農の出で、
いわゆる「御大盡(おだいじん)様」のお家。
まさかの末っ子です。10人兄弟ではありますが、幼いころ亡くなった兄姉もいらっしゃるので、4男2女の6番目として育っています。自由奔放だったかな?
お父様(義諄)は土方歳三が生まれる前に亡くなり、お母様(恵津)は土方歳三が6歳のころには結核で他界。
家督を継いだ次男の妻に育てられました。
生まれは1835年。武蔵国多摩郡石田村(東京都日野市石田)に育ちました。
好物は沢庵。
子孫の方のお話によると、
幼いころは、お風呂上りに裸で相撲の張り手でしょうか、家の柱相手に稽古をしていたそうで、生家にその柱が残されているそうです。また通行人に野鳥の卵を投げつけて遊んだとか。
少年になると、生家に矢竹という笹を「我、壮年武人と成りて、天下に名を上げん」といい植えたといいます。その矢竹も生家に残っています。
これらのお話が本当だとしたら、早くから武人に対する憧れや傾向があったのかもしれません。
少年時代のあだ名は「バラガキ」。これ有名ですね。
バラガキとは茨の生垣。トゲのある茨(いばら)からきてるそうで、昔の人はおもしろいところからネーミングしてくるなぁと。近づくと攻撃されるような威嚇されるような、乱暴者や不良少年を表す言葉です。
成人してついた諱(いみな)は義豊。
和歌や俳諧を嗜んだそうで、雅号は豊玉。
生家のある東京都日野市の土方歳三資料館に、土方歳三が詠んだ俳句集が収蔵されています。
史実と照らし合わせて拝見すれば、より人物像に迫れそうですね。
土方歳三にまつわる逸話
ゴールデンカムイの中では老練で達観したようなキャラで描かれている土方歳三ですが、
ゴールデンカムイでの土方歳三は誰も描かなかった時代の、ある意味だれもが見たかった後世の土方歳三です。
一般的に知られる幕末に生きた「新選組」の土方歳三は、侍、武士道、義を重んじるような人間性です。
歴史上の人物として人気の方なので、逸話としては、やはりやんちゃなものが多いです。
ただ歳を経ても、幕末に熱い血をたぎらせていた若き時でも、人を惹きつけてやまない。
その人間性に憧れてついてくる人間が増えるのは、明治になっても同じなのですね。
作者の野田サトル先生が描いた土方歳三は個人的に大好きです。
やはりこうあって欲しいなという彼でした。失われた侍の生き方だけではなく、新時代に熱い理想をもち、新選組の中にあって新しい時代を視れるその人。時代を俯瞰する人。その視座は年老いても衰えません。熱き想いも。止まらないおじいちゃん(笑)視座も肝も経験も最強のお年寄りです。
ただやはり生き続けて欲しいのですよ。
ファンとしては。ずっと。士道とは生き方より死に方にこだわるとあると思いますが、
生きて勝ち続け、私たちにづっと夢を見続けさせて欲しい。
ついていく人達も同じなのかと思います。
やはりロマンを見せてくれるから英雄というのか、前に立つ人間なんですねえ。
私、土方歳三のゴールデンカムイでのセリフで名言多いですが、
「男子のむこう傷だ」という言葉、大好きなんです。
なかなかこの言葉、今の時代男の子に教えてくれる方はいないのではないでしょうか。
ケガをしても男の証、勲章だよ、男を上げたんだよとおしえてくれる。
今の時代にはいないよぅ(涙)と、ハッとさせられる。男ならこうありたい、と思いませんか?
息子を育てるのにもヒント満載だ。
エピソードとして、土方歳三の甥っ子が転んで額に傷がついた時、急ぎ駆けつけて「男の子の向かい傷だ。めでたいめでたい」と笑ってあやしてあげたという有名なお話があります。先ほどのセリフ、ゴールデンカムイの土方歳三のマインドにも結び付いていますね。
11才のころ、現在の松坂屋上野店に奉公した説がありまして、番頭と喧嘩をしてクビになったとか。
ただ石田村の記録帳では、その年は石田村に居たらしいので、英雄の話に尾ひれがついたパターンかも(笑)
実際の石田村の記録では13歳ころに奉公にでて10年後には奉公を終えていることが記載されています。江戸が長いですね。
もう一つユニークなエピソードが。17歳の時に松坂屋上野店の支店の木綿問屋に奉公していた説があり、そこで働く年上の女の人を妊娠させたとか。問題を起こしたから石田村へ返されたらしい逸話です。こちらも記録から、何処へ奉公していたかも含め、ハッキリしてはいないようですが。
結婚を勧められても志がある為断ったり、いつまでも実家に居候。ニート期間長そうです(笑)
のちのちは、実家の稼業を手伝っていますが。
また、容姿端麗であったことから、京都で新選組として活動していた時にはラブレターをよくもらったそうです。実家の親戚あてにラブレターの束を送り、”つまらぬもの”と記して見せびらかしていたとか。新選組時代でも、実家の親戚と親交が厚い様子が意外でした。鬼の副長ですからね。
また、京都時代、お相手がいたのか、恋の和歌も詠んでいるようですよ。
土方歳三と石田散薬
面白いのは「石田散薬」とよばれる
古くから昭和23年の薬事法改正まで
250年間も親しまれたお薬を、土方家が製造販売していたということです!!
土方家は薬屋さんでもあるわけです。
歳三の叔父と三番目の兄は医者。
「石田散薬」は、河童明神が夢に出て教わった土方家秘伝の薬らしく、夏に花咲く水辺の植物ミゾソバを原料として黒焼きにしたもの。色はラベンダー色とか。
主に外傷や撲などの整形外科にお世話になるようなケガに効くとされ、熱燗の日本酒と一緒に飲むようにされていたとか。民間療法に近いですかねっ。
薬効が証明されず、販売廃止された後も地元では長く愛され、これじゃないとと愛用し続けるお年寄りもいたそうで。
ミゾソバは繁殖力も強く、年中どこでも採れそうですが、
土方家では、慣わしとして、家の近くの浅川のもののみを土用の丑の日限定で採ることとなっており(河童明神の指示でしょうか)、
その日は石田村総出で刈り採りを行うのだそうです。土方歳三はこの刈り採りの陣頭指揮を執るのを任されており、人を動かすことがとても巧かったとか。
そして土方歳三もこの石田散薬を多摩、信州と行商していたようです。各地行商の傍ら、剣術道場に試合を申し込み、修行していました。
なんだかおもしろい話です。江戸以外の得意先だけでも400軒程あったそうですよ。
また、石田散薬にちなんだ土方歳三ファンの愛し方がユニークです。土方歳三ファンの中では「石田散薬」のロゴが印刷されたトートバックやパスケース、T-シャツ等の知る人ぞ知るファングッツがあります。本当に好きな人でしかもたないものですよねっ。

コメント