皆さん!杉元佐一の名前・・・。
作者の野田サトル先生の曽祖父(杉本佐一氏)のお名前からきていることご存知ですか?
(元と本が違います!!)
先生は、きっとお会いしたこともない曽祖父の歴史も大切にされているんですねぇ。
描きながら敬愛の念も持ちながら杉元の成長を見つめ続けていたのでしょうか。
野田サトル先生の作品の特徴は、出身地を舞台に描く事もありますが、
大切な人も物語に取り込んでいること。
主人公に家族の名前をつかう。
そうゆう漫画家の方っていない気がします。なんか好感もてますよね~。
なぜならご自身の歴史を大切にされているから。
そして育った北海道の空気を、沢山吸ってすごされた先生だからこそ魅力ある本物を描けるわけです。
それでは愛ある経緯で生まれた杉元佐一という人物をより知っていきましょう!!
杉元佐一の魅力!!ゴールデンカムイ主人公
ゴールデンカムイの登場人物の特徴として、
どのキャラクターも主役級に面白く魅力的なことですが、
その中でも杉元佐一が主役なわけなんです。アシリパさんと出会い、ツイン主役となっていきますが、アイヌの世界を知らない和人サイドの一般人要素をもつ主人公であり、
様々なことと出会う中で物語の舵取りをしていく大切な存在。
様々な出会い、経験の中で成長、再生していく旅路。
ラスト、
人としてどう生きていくかに結び付けていく。杉元佐一の旅なんですね。
杉元佐一のキーワード
杉元佐一は実は普通の人です。変態な性癖を前面に押し出すキャラでもなく、
民族、北海道、日本の未来を憂いて大儀を持ち行動する人でもない。
目の前の自分が出会った大切なものを優先し生きている。
人としてどう生きるかを大切にしているようなタイプの方です。
なぜ彼が主人公なのか、そこにキーワードはあると筆者はおもいます。
それでは少しづつ掘り下げていきましょう。
杉元佐一のプロフィール
杉元佐一の出身地
神奈川県です。
明治時代は文明開化でどんどん新しい流行や常識が追加されていくような時代ですが、神奈川県は流行最先端の東京のお隣な為、色々新しい考え方や流行は入りやすい土地ではありますね。
ただ、彼の故郷は「小さな村」とあります。
なので東京のお隣といえど、それは都市部のみであり、彼の故郷は、古い慣わしに紐づけられた人間関係が未だ残っていたり、偏見や差別が生じやすい狭い世界であったと推察されます。
それでも、寅次と梅子と過ごす幼馴染の三人の姿は素朴で温かい、村で育つよき子供時代を伝えてくれます。
杉元佐一のお誕生日
三月一日生まれ。
公式で記載されているお誕生日ですが、どうしてこの日なのかは判っていません。
曽祖父の杉本佐一氏の誕生日かどうかも判りません。
ただ、うお座の設定なので、どんなものかと照らし合わせると、まさに杉元佐一の性格でしたのでご紹介します(笑)これは野田サトル先生、意図的設定?それとも偶然でしょうか??(笑)
一般的なうお座の性格としてよく挙げられているのは、
・とびきり優しい心の持ち主 ・誰にでも親切 ・平等な博愛主義 ・繊細な感性
・ロマンティック
・人を優先し自己犠牲をいとわない(精神疲労は溜まる)
・立ち直りに時間がかかる
・本当は甘えん坊
ちなみに恋愛についてのうお座の傾向も・・・(笑)
・恋愛が優先順位の1位
・同情心と恋愛感情が紙一重
・好きな人の色に染まりたいww
ついでですが、三月一日生まれ歴史上の人物や偉人には、ショパン(音楽家)、伊藤若冲(日本画家)、芥川龍之介(作家)、加藤茶さん(芸能人)がいらっしゃいましたよ。
杉元佐一の身長と体重
公式では身長はアシリパさんの父、ウイルクと同じくらい。
白石由竹や尾形百之助、土方歳三より高い、とあります。
体重は月島軍曹と狙撃手ヴァシリと同じくらい、とあります。
当時の明治時代の平均身長は156センチ前後らしいです。
史実では土方歳三は167センチらしく実際に背が高い人であったことがわかります。
アニメの設定では杉元佐一は軍帽込みで175センチとなっています。
土方歳三の史実にあわせれば彼より背が高い設定なのでそれくらいにはなりそうですね。
また、ポーランド人の血を持つウイルクと同様な設定であれば、やはり大柄な設定といえます。
しかし、牛山辰馬が最も大きいです(笑)規格外(笑)
永倉新八や月島軍曹は明治時代の平均身長よりは高いですが、低めの設定なので時代にあっている印象です。
元々武人、軍人になるくらいの方々ですので、一般の方々より胃腸や体格は優れていないと向いていないですよねっ。
ちなみに当時のロシア人平均身長は166センチだそうです。闘えそうかな・・・
杉元佐一の好物と嫌いなもの
好物は干し柿と塩をかけた脳みそ。
「干し柿」については、杉元佐一の大切なキーワードです。
干し柿については、作中の100話「大雪山」の回で触れられています。
それは、故郷に吊り下げられていた干し柿の回想シーンであり、「不死身の杉元」になる前の「杉元佐一」に戻れるかどうかのキーアイテムとして語られるからです。
たべものを介して回想シーンを入れてくるところがこの物語っぽい手法。
アシリパさんが日露戦争から戻った人が元の自分に戻れたのかと問いかけると、杉元佐一は、
「戻れた奴もいただろうさ。故郷へ帰り家族と過ごす時間で、元の自分を取り戻せるのかもな。日本に帰ってきても元の自分に戻れない奴は、心がずっと戦場にいる」
と答えました。
それに対してアシリパさんは、
「杉元も干し柿を食べたら、戦争に行く前の杉元に戻れるのかな。すべてが終わったら…杉元の故郷へ連れていけ。私も干し柿を食べてみたい。いいな?杉元」
と語る。賢い娘です。これに涙する杉元佐一の大切なシーンです。
ただでさえ優しい杉元佐一が戦争で人殺しをするなど、相手を人間と思わないことにしないととても無理であっただろうと。
干し柿なんて素朴な甘味であり、作り手の家族がみえるなんて平和なたべものの象徴なんだろうと。貧しさもあるかもしれないが筆者は温かみのある記憶のたべものと捉える。
北海道での栽培は厳しいけれど…。
本当に北海道と本州ではたべものが違うんだなあと感じます。北海道だと自生するものならハスカップ、ハマナス、サルナシ。現在はさくらんぼ農園とかありますねっ。
塩をかけた脳みそについては、アシリパさんと出会ってから増えた好物。
嫌いなものはイナゴの佃煮。
田舎育ちなのに苦手なんですね…。
杉元佐一の身だしなみ
杉元佐一の軍帽
お気付きでしたでしょうか?杉元佐一は軍帽を脱ぎません(笑)
お風呂や入院中も、家の中でも食事中でも、もちろん除隊していても、です。不思議です。
もちろん人からもらった大切なもの、というイミもあります。
只、除隊したのに兵隊であった自分を脱ぐことが出来ない。時が止まっている…。または、兵隊であった自分がアイデンティティになってしまい、軍帽はその象徴なのでは、と登場した1話より少し寂しさを感じました。皆さんは違和感を感じませんでしたか?
また、単に変態大好きの作者の野田サトル先生が、入浴シーンで裸に軍帽がエロいから(笑)とお話しされてもいますので、脱がない理由はオチャメでもありますし、
漫画的に判り易いキャラクター説明ともいえます。見るからに戦う人、元軍人なのかなって思いますから。
でも着物と合わせて被っているので、やはり面白い恰好ともいえる。人目を気にしない…?
やはりマンガならではのキャラクター設定ですかねっ。
元々は第七師団の菊田特務曹長(菊田杢太郎(もくたろう))より譲り受けたもの。
菊田特務曹長の弟であり、日清戦争で餓死した菊田藤次郎の軍帽です。
未だ陸軍に志願する前の杉元佐一。故郷を捨て、天涯孤独となり、自暴自棄になっていたころ、菊田と出会い、菊田の仕事に協力することになりました。
菊田は次第に杉元佐一を弟の姿に重ねていきます。陸軍を勧めて戦地で餓死させてしまった弟への自責の念のある菊田ですが、杉元佐一が放った「自分を許してもう前に進んだら。」という言葉に、弟の藤次郎が菊田に向かって伝えたメッセージのように受け取ります。
そんな中、陸軍に入ると伝えた杉元佐一に戸惑う菊田でしたが、「自分で選んだことで、菊田を責めたりすることはない。自分は不死身だから。」と伝える杉元佐一。
菊田と出会うことで新しい道を見つけた杉元佐一と、自責の念から前を向くターニングポイントとなる菊田のエピソードがこの軍帽には秘められています。
お互い陸軍でまた出会うことが有ったら、”初めまして”から始めよう、と菊田。
杉元佐一に軍帽を譲渡し、それぞれの新しい未来に別れる二人。
もう手放せるようになった軍帽と、これから進む道を象徴するアイテムを譲り受ける。二人の未来に象徴的な不思議なやりとりでした。なんだか清々しいですね。
ちなみに実写版では入浴中さすがに違和感があったとかで、はずしてよいかと制作側が作者の野田サトル先生に了承を得たらしい…マンガならではのおもしろさっということでしょうか。
杉元佐一のマフラー
杉元佐一のマフラー!!突然マフラーだけお洒落だとおもいませんか(笑)
結局このマフラーが杉元だと気付く一番のアイテムではないでしょうか。
実写化の時に、少しマンガの色とは変えたということです。
象徴的なアイテムの為、こだわらないといけないところ。
衣装係の方がこだわったようです。実写化のマフラーにもご注目!!
多分温かいから買ったであろうこのマフラー。
ウールなどのフェルト地で、本当は重さがあると思うんです。
でもマンガ上ではいつも木綿のように軽やかになびいていて(笑)
気付きましたか?
不思議でしたが、多分野田サトル先生のこだわりのマンガ表現ですかね。
今までもスカーフがいつもなびいている主人公のマンガとか、ありましたよねっ。
おしゃれな感じが上がる表現。
先生のお好きなマンガの影響だったりするのかなと。
杉元佐一の素敵ぶりも上げてくれています。
また、杉元佐一の戦うシーンの動きや、力の強さ、速さもわかりやすく伝えてくれたりしてます。
一役買ってくれていますね、あのマフラー。
働き者!!
あれだけで北海道の寒さは凌げませんが、
人より筋肉多いからHOTかな(笑)
作者の野田サトル先生曰く、マフラーは小樽で入手したものということ。
寒さの表現にも一役買ってくれています。
小樽には外国人が多く、海外のものが手に入りやすかった、ということです。
杉元佐一は、おっ!温かそう!で購入したのか、寒いから丁度よいな、と購入したのか。
なかなかおしゃれなものを選んだなあと思います(笑)
素朴だけどオシャレ感があるあのマフラーのデザイン。
主人公の目印。
先生どうやってデザイン決めたんだろう…。とくになし…なのかな…。
杉元佐一の人柄も伝える大切なデザインだとおもうんです。
荒々しさの中に、ふつうであったり、素朴であったりもする杉元の人柄を伝えるような。
正義感や正統なまじめさ。荒々しさを封じ込めてくれているデザインだとおもいませんか?
杉元佐一の服装
時は明治時代。
日本独自の伝統と文明開化で近代化していく狭間の時代です。
服装はどのように変わっていったのかというと、そう大きく変わったわけではなく、
普段着は未だ未だ和服で、洋装と旨くMIXした日本独自の洋装が生まれ始めていました。
こうゆうの現代の日本もそうですが、外から入ってきた文化を日本流に生まれ変わらせるの、得意ですよね~~~!!
そこには流行り廃りもちゃんとあって、若者たちは流行の最先端に乗ることをやはり気にしていましたし、新しい日本ならではのアイテムも生まれていたのです!
特に外套!!
洋装のコートを着ても中は和服。和服は袖が垂れ下がって布幅が広いので、現代のコートのように袖口までつながっているものではなく、肩で切れています。そして上からポンチョのようにかぶせるだけのコートも着て、2段仕立ての仕組みになっていました。和服の為に生まれたコート…。
そのコートがその時代の当たり前になるほど定番化して。(名前はトンビとかインパネスコート、二重廻しとかゆうらしい。)
おもしろいなあ。
制服や軍服は洋装。
一番象徴的なのが帽子です。明治から昭和初期にかけて、男性にとって帽子が必需品になっていくんです!!子供も大人も!!
始めの頃は江戸時代の髪型をやめたばかりで、いわゆるザンギリ頭とよばれる髪型に抵抗があった男性達が頭を隠すためにかぶりはじめたそうです。おもしろい!!
次第にイギリス紳士のように身だしなみに欠かせないアイテムとなっていくんです。
ちょっとすぐそこまでの距離でも欠かせないような。
帽子の種類も多いんですよ~!男性帽だけで、夏帽で5種類、冬帽で10種類ほど。
最近流行っていたカンカン帽やパナマ帽が人気!!カンカン帽なんか毎年買い替えてたとか。
あとはステッキも流行っています。
ぜひゴールデンカムイの作中の街中の人達の服装にも目を向けてみてくださいねっ。
野田サトル先生の研究されたその時代の世界観がみてとれますよ。
それでは杉元佐一はどうかというと、
まず白いシャツを中に着ていますが、実は珍しい立ち襟のシャツを着ています。
中国の孫文が民族衣装として考え出し、毛沢東が好んで着ていた人民服の立ち襟から派生したスタイルで、明治時代中期、「書生シャツ」ともよばれ、知識人や学生に流行ったスタイルです。
日本の学ランも、当時の軍服もこのデザインですよね。
「ハイカラ」という言葉がありますが、このハイカラー(高い立ち襟)シャツから生まれた言葉なんですって!!モダンであったりお洒落であることを指す言葉ですよねっ。
和服の襦袢(下着)の代わりに着用され、当時の日本の縫製技術が未だ途上の為、再現が難しく、襟は取り外しできるんだそう。防寒対策にもなるらしいです。
つまり杉元佐一は、和服の下着として、そして防寒として、このシャツをセレクトしたといえますが、若者なんで!!インテリおしゃれを意識したかなっ!!(笑)
それから、そのシャツの上にヨモギ色の着物を着ていますが、ひざ上の長さになるようたくし上げています。
尻端折り(しりぱしょり)といって着物の裾の汚れを防いだり、動きやすくするための工夫で、着物の裾をたくし上げて帯などに挟んで短くして着ます。時代劇だと町人や飛脚の方、現代だとお祭りでそのような着こなしがみられますね。
袖はたすきでたくし上げ、その上に洋装のトレンチコートを着ています。
マンガやアニメではいくら普段着とはいえ、着物さむそうだなあ、なんで着物なんだ杉元、とずっと思っていたのですが、なんと!!
実はウール生地の着物だったらしく、映画の実写化で静岡県の福田織物さんが杉元佐一の着物の再現を生地作りから担当されてまして、苦労されたエピソードをウェブサイトでお見掛けしました。
着物の下は軍服のズボンを履いており、その上にかぶせるよう長靴を履いています。
長靴は大正時代まで日本陸軍で支給されていたもので、本革製であり、編上靴といいます。
ゴールデンカムイの実写化ではそれこそこだわりのオーダーメイドでこの靴は再現されました。
当時の縫製やパーツを正しく再現したものです。
着物といい、長靴といい、実写版は職人の再現魂を汗を感じます!!我々視聴者にゴールデンカムイのリアルさを伝えてくださっているわけで、じっくりと観察しましょう!!
ちなみに杉元佐一が履いている編上靴は曰く付きで(笑)
気に入らなかった将校を半殺しにして奪ったものです。ぜひ本編でご覧ください(笑)
杉元佐一の装備!!
三十年式歩兵銃と銃剣
杉元佐一は、この歩兵銃を愛用しています。
実物は4キログラム。野田サトル先生は、TVドラマで小道具としてつかわれたものをアタッシュケースにいれて駅まで歩いたらしいのです。研究のためですね!!
小道具なので木材と金属で作られたボルトが稼働ずるだけの鉄の塊であり、実物より重たくはあるそうですが、運ぶのはとても大変だったそうです。
さらに、長さが127cmもあり、当時の日本人の平均身長が156cmと前述しましたが、とても走って持ち運べるもがのではないとのこと。
野田サトル先生は試しに構えてみたところ重くて腕が下がってきたそうです。先生は当時の日本人のタフさに驚いたとありました。
「銃剣」についても作中で熊を斃したり、チタタプしたり本当に応用力に溢れたアイテムとして活躍していますが(笑)
この銃剣、用法としては「槍」なのだそうです。
戦国時代や幕末の英雄たちが愛用してきたものは刀でした。流派も様々。歴史も長い。
日本古来磨き上げられてきた精神のようなものでしたが、刀は徳川時代の古き時代の象徴であり、これを上回る為にも、他国と肩を並べるためにも、近代化という名のもと刀は廃れていき、戊辰戦争や日露戦争では銃がつかわれます。
もちろん相手国も銃をもっていますが、さらに、銃先に剣をつけるという銃剣が日本では採用されたというあたり、刀の名残なのかと思っていたのですが、「槍」なんですね~。
銃でもあり、槍でもある武器としてつかわれるようになったいうことです。
なんと!この銃剣、16世紀末~17世紀初頭のフランスが発祥という説があり、農民のケンカから生まれたとか。
当時の銃は、次の弾をこめる装填に時間がかかり、一斉射撃をしてからの再装填中に歩兵や速度に優れている騎兵が突撃されてしまい、接近戦になる危険性が高かったようで、兵士を守る為に必要なものでした。
初め筆者は日本独自な発展をした代物ものかと思っていました。日本兵が持っているイメージが強すぎて。全くの思い込みで、まさかのフランス発であり、中国でも明朝時代にこの技術が既にフランスから伝播して採用されており、国際的な代物だと知り驚きました。
しかし、ここから日本人らしいのは、この銃剣、幕末に使用方法と共に日本にやってきましたが、フランス人の教練は日本人の体型には不向きだったんだそうです。
そこで日本古来の「槍術」の技法を取り入れた改良がなされ、明治27年に日本式の「銃剣術」として正式デビューしました!!刃物としての用法と銃撃の組み合わせから接近戦に対応したものとなります。
現在も日本の武道として残されており、「銃剣道」となりました。心身鍛錬目的の武道に改良され、第二次世界大戦後、フェンシング等の要素も取り入れられ、戦後スポーツとして生まれ変わりました。
一見剣道のような様子で行われますが、つかわれるのは竹刀ではなく、三十年式歩兵銃の長さに銃剣の長さ(約50cm)を足した木銃とよばれる木でできた銃の形のものをつかいます。あまり知られていないスポーツですが、競技人口のほとんどが現役か元自衛官の方々のようで、自衛隊の基礎教練に取り入れられているとか。大会も行われていますが、脈々と受け継いでいるあたり、失くさないようにしている意図が感じられて少し怖いですが、失くすことも怖い。いまも世界大戦の名残が残されているのかと思うお話でした。
杉元佐一なんて生き残る為、とはいえど狩猟に応用されていっているような(笑)
そして料理に、ですねっ(笑)
さすが野田サトル先生。怖いアイテムもコメディにしてしまう。相棒も新時代なわけです。
いつかこの三十年式歩兵銃も手放し、アイヌの方法で狩りを学んでいく杉元佐一もいるのでしょうか。

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